監督コラム❻
【監督コラム第6回】2018.11.10
〜母国と異国 ①〜
少し散らかるが、学生時代の話は結局自分の原点なので思い出しながら掘り下げておきたい(そうしないと続かん)。
僕の母校は自由学園という学校である。
映画制作を志したのは自由学園に通っていた高校2年生の頃。池袋の文芸座で初めて自主制作映画というものに出会い、実家にあった8mmカメラを引っ張り出してきて友人と撮り始めた。
この時代の映画に対する想いが今でも土台となっているのは言うまでもない。
だから自由学園を“母国”とでもしておこう。
母国で可愛がられ、いい気になって渡航したのがM氏と出会うこととなる多摩美術大学だ。
ここはまさに“異国”だった。
文科省に外務省のような『学校別渡航リスク』を表した地図でもあれば真っ赤に塗られて退避勧告されているかもしれない。
今思えば所詮守られた大学生。甘ったれたものなのだが、当時の僕にはショックが大きかった。
映画というもの、芸術というもの、ひいては何かを表現するということ自体に、自分があまりに無防備で無知であることを思い知らされた。
首からカメラをぶら下げて、貴重品も全部身につけて、丸腰でキョロキョロしながら踏み込んだ妖しげなの路地裏…
そんな学生生活が始まった…。
つづく
監督コラム❺
【監督コラム第5回】2018.11.8
〜M氏①〜
M氏と最初に出会ったのは今から15年程も前。
M氏は僕が通っていた某美術大学の講師であった。
入学してすぐに講師陣のプロフィールを見て、M氏が小栗康平監督の『眠る男』の撮影を担当していた事を知り、興奮したのを思い出す。
『眠る男』は僕の大好きな映画で、特にその映像の美しさに惹かれていた。
当時の僕は、そんなすごい画を撮る人に教われるなんて光栄だ!貪欲に吸収するぞ!とは思わず、こんな人が講師にいる大学に入った俺すげー!という程度のアホウだった。
まさかM氏が後々の人生に関わってくる事やこの時代に受けた刺激が自分の作品に強い影響を及ぼすことなど知る由もなく、下宿の六畳間で夜な夜な酔い、浮かれていた。
2000年から2001年にかけて、僕も、そして世界も同時多発テロの前夜であった…
つづく
監督コラム❹
【監督コラム第4回】2018.11.6
〜なぜむずかしい〜
M氏が『よあけ』の映画化が難しいと言った理由は実に明快だった。
絵本『よあけ』の素晴らしさは何と言っても夜明けの瞬間、劇的に変化する色彩、その描写である。ほとんどすべてがそこに集約されている。
だから僕の映画もラストシーン、あるいは一番のハイライトはそんな夜明けのシーンを想定していた。M氏は決して「できない」とは言わなかった。しかし非常に難しいと言った。
氏曰く、「絵本『よあけ』の素晴らしさは十分わかる。土井君ががこれをやりたいという気持ちもよくわかる。だが君のイメージしているような劇的な夜明けを、その色彩を、実際の撮影で狙うこと、再現することはなかなかできない。
一年間、毎朝日の出を狙っても撮れないかもしれない。そのくらい『自然』そのものを撮る事は難しい。だから、『ストーリー』が大事なんだよ。誰にとって劇的な夜明けなのか。その人物に何が起こったから劇的な夜明けなのか。それがきちんと描ければ、夜明けそのものの風景なんか撮らなくたって、人物の表情一つだけでも、土井くんが撮りたかった夜明けの何倍もすごいものが撮れるんだよ」
しまった。。映画学校の1年生に引き戻されたような感覚。
それもそのはず、次回からは少々脱線してM氏との因縁浅からぬ仲を…
つづく
監督コラム❷
【監督コラム第2回】2018.11.4
~原案~
ユリー・シュルビッツの美しい絵本『よあけ』と出会い、「こういう映画をつくりたい」と思ったものの、どこから手をつけるか…
とりあえずは改めて『よあけ』を手に取ってみる。
調べるとこの絵本には原案があり、それは唐の時代の柳宗元(りゅうそうげん)という人の『漁翁(ぎょおう)』という詩である、と。
◆漁翁(訳)
年老いた漁師が、夜になると、西岸の大きな岩に舟を寄せて停泊した。
明け方に彼は清らかな湘江に水をくみ、楚の竹を燃やして朝食を作る。
やがてもやが晴れ太陽が昇ると、もはや漁翁の姿は見あたらない。
舟をこぐかけ声がひと声高くひびいて、山も水もあたりはすべて緑一色に染まっている。
空の果てを遠くふり返りつつ、川の中ほどを下って行くと、
雲が大岩の上空に、無心に追いかけあっているように流れていた。
(公益社団法人関西吟詩文化協会HPより引用)
なんと豊かな情景!この詩を読んでさらにイメージが膨らむ!のだが…
つづく
監督コラム❶
2018.11.3
~よあけの夜明け~
もう5年以上前、新宿のとある書店で、ユリー・シュルビッツという絵本作家の『よあけ』という本に出会った。
舞台は湖。湖畔には野営をする老人と孫の姿があるものの、大半は風景の描写のみ。夜が更けて、やがて夜明けが近づく。老人と孫は目を覚まし小さな火を炊き朝食をとる。ボートで湖へと漕ぎ出したところで太陽が顔を出し、途端、周囲が一気に色彩を帯びる…
ほとんど言葉のない美しい絵本だった。
そしてその時、この本のような映画が撮りたい、と強く思った。まさに今回の映画の「種」を見つけた瞬間。
ここから長い長い映画作りの道が始まることになる…
つづく